結婚狂想曲



     6


 美弥は一晩だけ念のために入院したものの、翌日何の問題もなく、病院の朝ご飯までしっかり食べて退院した。
 本当に大丈夫だろうかと、退院後もしばらくハラハラしていた高耶だったが、元気そのものの美弥の姿を見て、だんだん気持ちも落ち着いてきた。
 ちなみに、退院した日の夕方、直江が二人の住むアパートにやってきた。ピンクをベースにした可愛い色合いの花のアレンジメントを抱えてお見舞いです、と花を渡された美弥の喜びようといったらなかった。興奮し過ぎて、熱を出さないかと一瞬心配したくらいだった。
 ちゃんとした花束を貰ったのは、人生で初めてだった美弥は本当に喜んでいて、高耶はそんな妹を見て、小さな子どもと言えど女の子なんだなあと思い、同時にこんな小さなレディにまでスマートなサービス精神を持ち合わせている直江に、ほとほと感心した。



 さてそれから数日後、高耶は直江に誘われて、なぜだか夕暮れの港まで出てきていた。
 美弥は同じ団地に住む老夫婦と、今頃一緒に夕飯を食べている頃だ。
 その老夫婦には孫がおらず、美弥を本当の孫のように可愛がってくれ、高耶が仕事でどうしても忙しいときに預かってくれたり、一緒に食事をすることがときどきある。
 仕事から帰ってきたところに直江から電話が入って、「たまには、のんびりしてはどうですか?」と誘われ、ちょうどその老夫婦が声をかけてきてくれたので、申し訳ないと思いつつ、その言葉に甘えてみることにしたのだ。
 美弥にはちょっと悪かったが、思い切ってお願いして出てきてよかったかもしれない。
 だんだん海に沈んでいく夕陽を見ているだけで、ここのところ結婚相談所に通ったり、美弥のけががあったりと、慣れないことで張り詰めていたものが、ゆっくり解けていくようだった。
「ありがとな。連れ出してくれて」
 たぶん、直江はいっぱいいっぱいだった高耶の状態に気づいて、誘ってくれたのだろう。
「いいえ。そんなことは。良かったんですか、こんなところで。海を見たい、っておっしゃるので手近なところで港まで来ましたけど」
「つっても、男二人で遊園地でもないだろ?」
「まあ、そうですが」
「十分だって。最近、海なんか全然見てなかったしさ。今日、風が気持ちいいし、空がすっげーきれいだし。来て良かった」
 何かいろいろ話したいことがある気がするのだが、うまく言葉にならない。
「なーんかさ。オレ、最近あちこち頼ってばっかだよな。特に直江」
 直江に聞かせるでもなく、高耶はぼそっとつぶやいた。
「何言ってるんですか。全然ですよ。頼ってください。もっと甘えてもいいんですよ」
 直江の言葉に高耶は苦笑した。
「おまえ、モテるんだろうな。そういうセリフ、オレじゃなくて、女に言ってやれば?」
「茶化さないでください」
「茶化してねえよ。オレはなあ、誰かの助けなんかいらないんだよ。親父もお袋もいなくなってから、自分の食いぶちと美弥を育てるくらいの金は自分で稼いで、ここまできたんだ」
 生活が苦しくなかったわけではない。でも、美弥がいたから、平気だった。
 あの小さい手が、疲れも何もかも帳消しにしてくれた。
「高耶さん、あなたがどれだけ頑張ってきたのかは、よくわかっています。でも、あなたにだってあなたを守る人は必要だと思いますよ」
「オレは、男だぜ。もう二十歳だ」
「まだ、二十歳です」
「そりゃ、おまえにとってみれば、オレはまだまだガキだろうけどさ」
 喧嘩ではないから、売り言葉に買い言葉、というのは変かもしれないが、さっきから直江の言葉の上げ足をとって、どうしてかつっかかってしまう。
 だから、これも冗談だ。
「そのガキ守ってくれるのが、おまえだっていうのかよ」
 なのに、直江は高耶の予想に反して、真摯な声音で、表情でこう言った。
「そうありたいと思っています」
 一瞬、言葉に詰まる。冗談でもやめてほしい。心臓に悪い。
「はっ、何言って……誰にだってそう言ってんだろ」
「言いません。誰かを自分の手で守りたいと思ったことは、これまでにありませんでした。あなたが初めてです。本当に初めて、心から頼ってもらいたいと思ったんです。あなたが好きなんです」
 直江の思わぬ告白に、高耶は驚くと同時に、怒りが湧いてきた。
 そんな甘い言葉は、自分に掛けられるものじゃない。いままで一人でやってきた自分に、意味がわからない。
「なっ……、おまえ馬鹿なんじゃねえのか? オレは男だ。守られなくたってちゃんとやってけんだよ。そういうことはな、女に言うもんだ」
 やめてくれ。
 オレはひとりでもちゃんと歩いて行ける。
 そんなに、今まで見たことないような真剣な表情で言わないでほしい。
「男とか女とか関係ありません。私は……!」
「うるさい! じゃあ、その左手の指輪、なんだよ!」
 高耶はとうとう声を荒げて、直江の左手を指差した。
「そんな指輪して、誰か大事な人いるんだろ? なのにそんな言葉信じられっかよ」
 高ぶりすぎて声が震えている。これでは、まるで泣いているみたいだ。そんな自分がみっともなくて、高耶はぎゅっと奥歯を噛みしめた。
 もう顔を上げているのもつらくなり、直江から視線を外してうつむく。
 ややあって、頭の上の方から聞こえたのは、少し虚をつかれたような直江の声だった。
「ああ、この指輪ですか? これはダミーですよ。しまったな。すっかり忘れていました」
「は? ダミー?」
 高耶は思わず顔を上げて、苦笑している直江を見る。
「ええ。こういう仕事をしていると、結婚したい女性によくお会いするわけですから、そうした女性除けといいますか。そういうものです」
「そん……っ」
 そんなのウソだと思わず言おうとした高耶より先に、直江がサラリと言い放つ。
「疑いますか? それでしたら、捨ててしまいましょう」
「なっ!」
 直江はそう言って指輪を抜き取ると、何のためらいもなく肘のスナップだけで、海に向ってそれを投げ捨てた。高耶が止める間もなくあっという間の出来事で、指輪はわずかに小さな音をたてて、水面から姿を消した。
「な、何やってんだよ! ダミーって言ったって、そんな安いもんじゃねえんだろ? あんなところに捨てたらもう拾えないだろ」
「拾う必要はどこにもありません。いらないものですから」
 慌てる高耶とは対照的に、直江はいたって冷静そのものだ。
「あれを気にして下さっていたんですね。嬉しいです」
「ち、違……っ! そういう意味じゃなくてだな。おまえみたいにいい男だから、そりゃモテるだろうし、結婚してて当たり前だよな、って思ってただけで」
「いい男、だと思ってくださってるわけですよね」
「いや、だから、……って。悪い。今さらだけど、オレを守るとか何とかって、まさかと思うけど恋愛とか、そういう意味、じゃないよな」
 恐る恐る訊ねてくる高耶の問いに、あっさり直江は答えてみせた。
「そういう意味ですよ? それ以外に何が」
「えっと、後輩とか弟の面倒を見るような、そんな感じとか」
「ではないですね。後輩とか弟だったら、抱きしめてキスしたいとか思わないでしょう?」
「キ……」
 さらっと言われたセリフに、思わぬ不穏な単語が聞こえたのは、気のせいだろうか。
「……オレ、男なんだけど」
「知ってますよ。女性には見えませんし、公的な証明書もいろいろ出していただいていますし」
 それはそうだ。お役所だって、高耶を「男」だと証明してくれている。
「おまえの言うこと、オレに信じろっていうのかよ」
「急に信じろというのは難しいでしょう。でもこれが私の気持ちです」
「……んなこと、言ったって」
 答えられない。
「それに、これからのオレの結婚相談、どうするんだよ?」
「それはもちろんこれからもご紹介しますよ?」
「は?」
 先ほどの告白と何やら矛盾していないだろうか。いや、そもそも「好き=付き合う」ということではないから、いいのだろうか。だったら少し意味がわかるような気も……
「ですから、私はお薦めのお相手候補ナンバーワンということで」
 前言撤回。
 やっぱりわけがわからない。
「オレが探しているのは嫁さんなんだけど」
「私は嫁でもいいですよ。夫でもいいですけど」
 やばい。
 本格的に頭痛がしてきた。
 高耶は痛む頭と、ゲッソリ持たれた胃を抱えながら、とりあえず今日は帰りたい、という意思表明をし、それを受け入れた直江によって、無事我が家に届けられたのだった。



 港で日の沈む海を背に、直江から思わぬ告白を受けてからしばらく(あとで絶好の告白のシチュエーションだったと気づいて、直江の周到さに改めて感心したのだが)、直江は一見今まで通りで、しかしその合間をぬうように高耶に愛を囁くようになった。
 仕事として、いろいろなイベントの案内もしてくれるし、高耶の希望通りの子どもが好きそうな女性紹介もしてくれる。
 そういう直江を目の前にすると、あの告白は夢だったのではないかとさえ思えてくる。
(というか、血迷っていたのが目え覚めた、というパターンもありうるな)
と、そう自分で考えておきながら、高耶は胸が痛みを覚えるのを、気づかないようにする。
 それはそれでいいことじゃないか。
 だって、そもそも男同士だし、あんな男が自分となんて、どう考えたって釣り合わない。
 そう思って、冷静になろうとしているところに、その日の夜、急に「あなたの顔を急に見たくなって」と高耶の家をそっと訪ねて来たりする。そのときは本当に玄関先で顔を会わせて、一言、二言言葉を交わしただけで直江は帰っていった。
 また別の日には、高耶が何かの折りに何気なく「面白そう」と言った新作映画のチケットを持って、デートに誘って来た。色気もなにもない、痛快アクションものの映画だったが、二人で並んでスクリーンを見ている最中、さりげなく直江にひじかけに置いていた手を握られた。びっくりして、どきどきして、おかげで高耶は映画の後半のほとんどが頭に入らなかった。
 特別なことでなくても、話している最中にふと目が合うと、今までに見たこともない優しい表情で微笑まれたり、さりげない言葉で好意を伝えられたり。どれもこれも高耶には慣れない経験で許容量はとっくにオーバーしている。
「あなたが好きです」「愛してます」
 そう言われると、頭の中がボッと爆発して、体全体がじんじんしてくる。
 今度そういう事を言われたら、こう言おう、次こそああ言おう、と決めていた事が全部ふっとび、それ以上何も考えられなくなる。
 ただ、これだけは分かっている。これじゃいけないということだ。
 直江の優しさは、少し(いやかなり)恥ずかしい思いはするけれど、嬉しいとも心地いいとも思える。でも、本当にそれに浸ってしまったら、自分は自分の足だけで立てなくなってしまう。
 まだ小さい美弥とともに頑張っている自分がそんなことでいいはずがない。
「お飲み物はいかがですか?」
 その声に、高耶ははっと、いつのまにか入り込んでいた思考を途切れさせた。
 目の前にいるのはホテルのボーイ。高耶の片手に持った空のグラスを受け取りつつ、次の飲み物を勧めてくれる。
 しまった。ぼーっとしている場合じゃない。いい加減、気持ちをきりかえなければ。
 そもそも今日は、結婚情報サービス主催のホテルでのパーティーに来ていたのだ。パーティーは今日で二回目なので、前回よりは少し気が楽だ。
 しかし、だからといって他のことを考えているようでは、何のためにここに来たのかわからない。
 高耶は一回頭を冷やそうと、ボーイからの飲み物の勧めを断って、会場の外に出た。
 毛の長い絨毯に、豪華な内装。つくづくこんな場所に自分は不似合いだ。
 トイレにでも行くか、と目的の場所を探しながら歩いていると、先方にえらくこの雰囲気に合った男の姿がある。
(直江だ)
 高耶にとっては気が引けるようなこの空間にあって、まったく見劣りしないのは、つくづくすごいと思う。
「なお……」
 声をかけようとして、途中で高耶は「うっ」と口をつぐんだ。
 直江の傍には、遠くからでも美人だと分かる女性がいて、さきほどから二人は何かを話している。高耶と同じような名札をつけているところを見ると、彼女は今日のパーティーの参加者のようだ。
 話している言葉は詳細には聞こえないが、直江の雰囲気からして和気あいあいといった感じではない。
 高耶は何を話しているのか気になったが、盗み聞きをしているようで居心地が悪く、そのままターンして立ち去ろうとしたその瞬間、女の腕が直江の首に巻きつき、そして女が伸びあがって直江に顔を寄せた。
 その瞬間、カッと眼裏が火を噴いたようになり、気がつけば高耶は、
「オレの直江に、手え出すな!」
と叫んでいた。
 自分の声にハッと我に返ると、直江も女もびっくりしたようにこちらを見ている。
「あ、えっと、あの……その……」
 何を言っているんだ、自分は!
 き、気まずい。とても。
 この場から消えてしまいたいほどの羞恥にかられ、耳まで真っ赤にしてうつむいた高耶の耳に、直江の穏やかな声が聞こえてきた。
「と、いうことですので、お引き取りいただけますか?」
 えっと、顔をあげれば、女が信じられないという表情で直江を見ている。
「冗談でしょ?」
「そう見えますか」
 直江の仕事用の笑顔を取り払った悠然とした男の表情に、今度は女が顔を真っ赤にする番だった。
「い、言いふらしてやるから!」
「どうぞ、ご自由に。ああでも、そうしたら私もお返しにあなたが目を付けている例の彼に、あなたのこれまでの所業を伝えて差し上げましょうか」
「な、なんですって?」
「お返しに、と申し上げました。あなたが、おっしゃらなければ、私もそうします」
 女はそれ以上何も言い返せず、それでも最後に直江をものすごい勢いでひと睨みして、カツカツとヒールの音高く去っていった。
 高耶は呆然と、その姿を見送った。
「……いいのかよ。客だろ?」
「もともと私の担当ではありませんし。それに今のはクライアントとアドバイザーとしてではありません」
 直江がゆっくり高耶に歩み寄ってくる。
「何、迫られてんだよ」
 照れ隠しにぶっきらぼうにそう言うと、直江は苦笑して、まだ赤みの残る高耶の頬にそっと触れてきた。
 たったそれだけなのに、びくりと体を硬直させてしまった高耶を愛おしそうに見つめてくる。
「指輪、捨ててしまいましたからね。指輪がなくなった途端、これですから。女性は目ざとい」
「やっぱり指輪、しといた方がいいんじゃないか? 仕事にも差し支えるだろ?」
 高耶の言葉に、直江は思案気な顔になり、そして、何かを思いついたように、急に笑顔になった。
「ふむ。やはり新しいもの用意しましょうか。高耶さん、高耶さんは何号です?」
「は?」
「指のサイズですよ」
「なんで、指のサイズ?」
 意味がわからない。まったくもって。
 しかし、目の前の男はこれまで見たどんなものより満面の笑み。
「だってペアリングですから。指のサイズわからないなら、お店で計ってもらえばいいですね」
「ちょ、ちょっと待て。店に一緒に行くって何の話だ」
「何って、ペアリングは一緒に見て決めるものですし」
 高耶は思わず眉根を寄せて、どんどん不可解の沼にはまりこんでいく会話を中断させた。
「ま、待て。根本的なところで話がつまずいている気がするから、一度整理していいか」
「どうぞ」
「オレとおまえがペアリング?」
「そうです。一足飛びにマリッジリングでもいいですけど、あ、でもやっぱりその辺はきちんと段階踏まえてエンゲージリングがいいですね」
「おまえ、本当に何言って……」
「え、だって、さっき高耶さんも言ったじゃないですか。高耶さんの私、ですよ。そして私の高耶さん、です」
 そ、そういう意味で言ったつもりは……。
 あれ? でもそういうことになるのだろうか。
「実家が寺なので檀家さんの子どもたちや兄姉の子どもたちの面倒もよくみていたので、子どもとの付き合いも慣れていますし、美弥さんにも気に入っていただいているようですし、車も自分で持っていますし、稼ぎもそこそこありますし、今はまだ料理や家庭的なスキルは不十分かもしれませんが、これからがんばって覚えますし……」
「わ、わかったから、そこまででいいから」
 放っておいたらいつまでしゃべるかわからない直江の口を思わず手を当てて封じ込める。
 その手をきゅっと握られて、直江がにっこり笑う。
「ね? 優秀なアドバイザーでしょう?」
「オレ、まだちょっと気持ちの整理が……」
「先に結論を決めて、理由なんてあとで考えればいいじゃないですか」
 そんなめちゃくちゃな、と思うのだが、「高耶さん」と甘い声で呼ばれてそっと抱きしめられれば、本当に細かい理由なんてどうでもいいかもしれない、という気になってきてしまう。
 あんなにいろいろ頭を悩ませていたのに、嘘みたいに心の雲が晴れた。
 こんなところで抱き合って、人に見られるかもしれないのに、今は自分を包む体温を離したくないのだ。一体、自分はどうなってしまったんだろう。
「……馬鹿野郎」
 何をどう間違えたのか、運命の神様ってやつが本当にいるんだとしたら、一日ほど、とくと説明をしていただきたい。
いや、どう考えても一日じゃ足りない。
「幸せにします」
 これが運命だって?



……上等だ。







                 Fin.



「結婚狂想曲」より再掲載