結婚狂想曲



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「・・・どうかしたんですか、その顔」
 結婚相談サービスのいつもの個室で高耶と直江は向き合って座っていた。
 いつもと違うのは、高耶が不機嫌そうというか、えらく落ち込んでいるような風情なことだ。
「・・・ダメだった」
 直江が高耶の言葉をしばらく待っていると、ぼそりとつぶやきが返ってきた。
「え? 先日のホテルでの立食パーティーのときにメールアドレス交換した、っていう女性のことですか?」
 直江の問いかけに、高耶はずずっとお茶をすすりながら無言でうなずいた。
 先日、結婚相談サービス主催のパーティーがホテルの広間を借りて行われた。といっても、堅苦しいものではなく、ゲームや食事を交えつつ、隣り合った人と会話を楽しむというものだ。
 高耶にとっては初めてのイベントで、ろくろく話もできなかったと高耶本人は言っていたが、そんな高耶にアプローチをしてきた彼より少し年上の女性がいた。
 直江の経験上、ああいった場でずっと話をしていたような男女は、意外なようだがカップルにならないことが多い。むしろ、少しだけ言葉を交わしてピンときた場合の方が結びつく可能性が高いのだ。
 高耶は、戸惑いながらもその女性と何度かメールのやり取りはしたらしいのだが・・・
「子どもがあんまり好きじゃないって言われた」
 ああ、なるほど。と直江は納得した。
 高耶の一番の条件は、美弥と一緒に家族になってくれる人、だ。
「まだ最初ですし、落ち込まないでくださいね。新しい方、探しましょう」
 直江は高耶を励ますように言って、手もとのパソコンを操作しながら、データベースを呼び出す。ここに結婚を望む登録者の情報が入っている。
 高耶に以前聞いた希望する相手の年齢帯やそのほかの情報を打ち込んでいく。
 高耶の希望条件は少なくて、そのため条件にヒットする数だけなら、かなり多い。この中からいかに合う人を見つけ出すかがポイントだ。
「もう少しほかに希望ありますか? 相手の趣味とか。高耶さんの趣味とまったくかぶらないよりは、ひとつでも共通点があるといいと思うのですが」
「うーん。美弥がお絵描きが好きだから、絵がちょっと描ける人とかだといいかも」
「絵、ですね。わかりました」
 そのあともいくつか直江は望む相手に対する質問をしていく。
 そして、あるところでふと手を止めた。
 高耶の回答に少し違和感を覚えたからだ。
「高耶さん、さきほどから、基準が全部美弥さんになっていませんか?」
「ん? そうか? まあ、美弥の母親代わりになってくれる人だし、そうかもな」
 ああ、と直江はその違和感の原因を突き止めた。高耶の結婚のはずなのに、さっきから話に高耶自身のことがどこにも入ってこないのだ。
   一瞬言うのをためらったが、言わずにいることもできないと思い、直江は切り出した。
「高耶さん、結婚はあなたとその相手がするんですよ?」
「何当り前のことを言ってるんだ」
 突然何を言い出すんだとばかりに、高耶は直江の言葉に首を傾げた。
「あなた自身の気持ちはどこにありますか? 先ほどから聞いているのは、全部美弥さんのことばかりです。あなたの気持は?」
「オレの気持ち?」
「いいですか。あなたの妻となる人は、あなたと結婚するんですよ。美弥さんじゃありません」
 直江の言葉に高耶の顔がこわばった。
「美弥をないがしろにしろっていうのか」
 自分の伝えたい本質の部分が伝わらずに、直江は苛立った。しかし、それがまずかった。
「そんなことを言っているのではないでしょう。そんな結婚の仕方では相手の方にも、ましてや美弥さんにも失礼です」
「・・・おまえが何を言いたいのかわからない」
 高耶の声がみるみる固くなっていく。直江はしまったと思ったが、遅かった。
 高耶は唇を知らず知らずのうちに噛み締めた。自分のことに親身になって相談に乗ってくれて、よくわかってくれていると思ったのに、今は直江が言っていることがよくわからない。
 美弥のいい母親になってくれる人の条件を言ったことの何が悪かったのだろう。
 何で直江は苛立っているのだろう。
 直江に言われた言葉がどうこうというより、なぜか今こうして直江と穏やかならぬ空気をただよわせていることが、高耶にとって衝撃だった。
 そして、そんなことに衝撃を受けている自分にもまた、二重に驚いた。
 これまでの人生の中で、高耶にとって「大人」は信頼できるような存在ではなかった。
 酒飲みの父親とはよく衝突したし、結果、彼は幼い妹とまだ高校生だった自分を捨てて出て行ってしまった。
 中学や高校のときも、教師たちは自分はやっかいな存在扱いで、自分も彼らを信頼なんか欠片もしていなかった。
 だから、「大人」なんて信じたことはなかった。
 そんな自分が、いつのまにか直江という「大人」を信じて、頼っていた。
(オレは、馬鹿だ)  幼い妹と二人、誰にも頼らずここまでやってきたのに。そうやって簡単に心を許すから、こんな思いをすることになる。
「・・・帰る」
 喉の奥からそれだけ絞り出して、高耶は部屋を飛び出した。たまらなかった。
 走るようにエントランスに向う途中で、顔見知りの女性のスタッフとすれ違ったが、会釈する気持ちの余裕もなく、高耶はガラス扉を抜けてエレベーターのボタンを押した。
 やってきたエレベーターのドアがゆっくりと閉まる。
 直江は、……追ってこなかった。
(本当に、馬鹿だ……)
 高耶はずるずると、そのままエレベーターの床に崩れ落ちた。



「ちょっと、さっきそこで彼とすれ違ったんだけど、だいじょ……」
大丈夫? と開けっ放しのドアをのぞきこみ直江に問いかけようとして、綾子は途中で口をつぐんだ。
そこには、茫然と座ったままの状態の直江がいた。
 いつもの自信に充ち溢れて、綾子からすれば少しうざいくらいのあの「余裕オーラ」が今は影形もない。
「な、直江?」
 さすがの綾子も少々動揺する。さっきの仰木青年だけでなく、こちらも「大丈夫?」だ。
 綾子の恐る恐るの問いかけにも、直江は反応しない。
 高耶と途中から、強い口調で言い争うような状態になったとき、間違えたと思いつつ、うまく彼をなだめて収集をつける余裕はまだあった。なのに、高耶がひどく傷ついたような表情を見せたとき、その瞬間、もうどんな言葉も吹っ飛んでしまった。
 何か言わなければ、と内心焦ったのに、結局何も言葉にできず、飛び出していった彼を追いかけることさえできなかった。
 いつも少し不器用に笑いかけてくれ、透明にきれいに輝くあの瞳が、悲しみに暗く陰ったのを見て、思考が飛んだ。
 こんなことは、今までなかった。仕事でもプライベートでも。
 初めての出来事に、直江は情けなくも茫然とするしかなかった。



 直江から逃げるように帰ったその日の夕方。一生懸命何もないようにふるまった高耶だったが、それでも聡い美弥には何かあったらしい、と見破られて、一度だけ「おにいちゃん。なにかあったの?」と聞かれた。「何でもない」と返したら、美弥は納得はしなかったようだが、それ以上聞くのはやめたらしい。
 そのあとは、今日保育園であった出来事を楽しそうに話してくれた。
 夜、一緒にお風呂に入り、ぽかぽかに温まった美弥を寝かしつけながら、高耶は思わず迷っていた言葉をぽつりと漏らした。
「なあ、美弥。お母さん、欲しくないか」
 高耶の突然の問いに、美弥は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔になって答えた。
「みやのおかあさんは、てんごくでしょ? おにいちゃんがそういったもん」
「うん。そうだな」
 美弥は、横に一緒に寝転ぶ高耶の目をのぞきこんで言う。
「おにいちゃんに、すてきなおよめさんができて、みやのおねえさんになってくれたら、みやもうれしいよ。でも、いまのままでもいいよ」
「でも、前、美弥はお母さんがいないことで、保育園の友達にからかわれたって……」
「うん。おかあさんはいないけど、でもみやにはおにいちゃんがいるもん。みんな、おにいちゃんみたいなおにいちゃん、いないもん。みやだけなの」
「美弥……」
 美弥には結婚相談のこと、その他諸々のことは話していない。けれど、たぶん高耶の抱えている悩みの根本部分を何となく理解しているのだろう。小さいながら周りの声も、それを突っぱねながら、なんだかんだ気にしている兄のこともわかっている。
「みやは、おかあさんもおとうさんもいないけど、さびしくないよ」
 そう言って小さな手を伸ばして、高耶の手を握ってくる。
高耶の半分もないそのちいさなモミジのような手は、それでも、高耶の不安に覆われた心を温かく包むには充分な大きさだった。




「結婚狂想曲」より抜粋