二人助六 前編 序

 光が溢れている。
 この世に存在するすべての光が、そこに集まっているかのように思えた。
 暗い客席を渡る、花道。
 居合わせる者たちの視線を一身に集め、男はその身から光を放ち、輝く大輪の華のようだった。
 その息遣い、指先のわずかな動きで、魅入る者の呼吸さえ操る。
 白い顔に、きりりと結いあげた髷。紅を差した目元。濁りなき眼が向ける先は、恋しい人か、それとも己の運命か。
 背に負う物の重さなど、わずかも見せずに力強く歩むその姿が、憧れの象徴となるのに時間は寸分もかからなかった。
「お母さん」
 自分の隣に座る母の袖をひっぱりながらこう言った。
「僕、大きくなったらあの人になる」
 母はきっと嬉しそうに「がんばってね」と言ってくれる、そう思いながら。
 すると母は思ってもみなかった、悲しげな表情になった。
「……そう。でも大変よ? あの人になることはとってもとっても大変なことよ?」
 母はいつものように優しく微笑んでいたけれど、でもいつもにない悲しげな表情をしていた。
「お母さん?」
 不安になって母の目を覗き込んだ。どうして母がそんな表情をするのかがわからない。
「お母さん。僕がんばるよ。いっぱいいっぱいがんばって、そしてあの人になる」
「……ええ」
 そう言って微笑んだ母は、少し先ほどの悲しげな表情が薄らいだように見え、それに少し安心した。
「なるよ。絶対」
 もう一度自分に言い聞かせるようにして、また舞台の上に視線を戻した。
 豪華絢爛な舞台の真中で、男はひときわ輝き、また目が離せなくなった。
 世界が輝いて見えた。
 


 あの日の自分は、間違いなく幸福だった。



「二人助六 前編」より