Red Moon 3

「そうだ、直江。当主のお披露目式、来月の最後の日曜に決まったからな」
 午後、自室でメールチェックをしていたところに、突然千秋が入って来てそう言った。
 当然、直江は眉をひそめた。
「初耳だが」
「今言ったからからな」
「違う。日程ではなくて、当主のお披露目式とやらをするっていう話の方だ」
「あれ、言ってなかったか」
「だから、初耳だ」
「はは。悪い悪い。まあ、お前はただ見せ物になって、ちらっと挨拶すればいいから」
 悪びれもせずに言う千秋に、直江は盛大にため息をついてみせた。
「会社の方の就任式は済んだだろうが」
「いやいや、だから直江家の当主としてのお披露目。直江家は古いからな。一族とか、いろいろ政財界のお偉いさんたちとか、その他諸々お付き合いがあるわけよ」
「絶対やらなきゃいけないのか、それは」
 人前に出るのが苦手という訳ではないが、正直、面倒くさい。
「赤坂のホテルも押さえたし、もう招待状も作って送ってるし。まあ頑張っていい見せ物になってくれ。これでいい感じにお披露目できれば、後々いろいろ楽になるから」
 やれやれ、だ。
 直江の家が古いことは知っていたが、こんなに政財界にも通じているなんて、ここに来て初めて知った。思ったより、いろいろと厄介な家のようだ。
「で、披露宴用の衣装とかつくるんで、後日採寸しに人が来るからよろしくな」
「そこまですることなのか」
 ブラックスーツぐらいは手持ちの物があるが、と言うと千秋はいやいや、と笑って答えた。
「すんげー大事なもんなの。なんで、そこんとこ、よろしく。高耶もつかまえねえとな。今、道場か?」
「高耶さんも出るのか」
「ん? つか、おまえと二人でセット」
 また、だ。
 直江はすっと目を細めた。
 なぜ直江の当主お披露目に高耶が一緒なのか。
 ここの家に来て積み重なる違和感と謎。先の見えない薄い霧が立ちこめているような、そんな状態。
「おい。そろそろ、諸々教えてくれてもいいんじゃないか」
 踏み込むのも面倒だ、と思って放っておいたが、日々謎は増えるばかり。自分だけが、いま自分がいる場所がわかっていないようで、少々不快だ。
「何を知りたいんだ、ご当主殿は」
 千秋はいつも通りにつかめない笑顔で……、否、目の奥にこちらの出方を伺う色が見える。
「直江の当主とは何者なのか。そして、高耶さんが何者なのか」
 直江がそう告げると、目の前の千秋は、ニッと笑ってみせた。
「シンプルかつ、的確な質問だな。いいぜ。そろそろ話す頃だと思ってたしな。おまえには知る権利と義務がある。来い。説明してやる」
 千秋はそう言って、直江を連れて屋敷の中を歩き、とある和室へと案内した。
「ここで待ってろ」という千秋の言葉通りに、しばし一人で待っていると、やがて千秋は見るからに古びた細長い木の箱を手に戻って来た。
 直江の見ている前で、千秋は畳の上に大きな布を敷き、白い手袋をして木の箱を開ける。
「それは?」
「直江家代々の家系図だ」
 木の箱に納められていたのは、一幅の巻物だった。豪華な表装がされており、かなりの年代物だということが一目でわかる。
 千秋はそれを取り上げ、平紐を解き、丁寧に巻物を広げていく。
 年月を経て、変色した和紙の上に筆で書かれた文字がびっしりと並んでいる。
「すごいな」
 広げられたそれを見て、直江は思わず感嘆のため息をつく。
「これは当主をメインに書かれているから、一族全部のことはわからないけどな」
「どのくらいの時代からあるんだ」
「んー、西暦でいえば800年代。平安時代初期ってところか」
「そんなに昔からあるのか」
「まあ、正直本当かどうかわからねえけどな。これ自体は四百年くらい前に作られている。だから、それより以前のものは、別の記録があったんだろうと思うんだが、さすがにそれは現存してないから、よくわからん。ちなみにこの家系図、現役だぜ。まだ書いてないけど、おまえの名前もお披露目が無事に済めば、ここに書き加えられることになっている」
 直江の当主がどうとかいうことはよくわからないが、これだけの歴史のある書物に、自分の名前が書き加えられるというのは、ずいぶん不思議な感覚だ。
 息が紙にかからないようにしながら、直江は巻物に目を落とす。書かれている文字が崩し字のため、半分くらいの文字が読み取れなかったが、それでもこうして見ていると、なかなか興味深い。
 代々の当主は基本、直系のようだが、ときには当主に子どもがいなかったのか、直江のように娘の嫁ぎ先や当主の従兄弟の子などが継いでいる場合もあるようだ。
 そうして見ているうちに、直江はふとおかしな点に気づいた。
「これは何だ?」
 直江は、各当主の横に記された漢字らしき二文字を指し示した。
「当主の俳号とか出家後の名前とか、何か別名みたいなものか?」
「ああ、これな。フコ、だ」
「フコ? そう言えばこのまえ、高耶さんのこともそう言っていたな。何なんだ。フコって」
「神社にいる巫女の巫、に子どもの子。それで巫子、だ。そのままミコとも読めるんだが、この家では代々フコと呼んでるな」
「その巫子が、当主とどんな関係にあるって言うんだ」
「代々、直江家の当主には、巫子が一人必ず付くことになっている。巫子は、当主の守護となり、この家に繁栄をもたらすと言われている、っていうのが概要」
 直江は思わず「は?」という顔をして、千秋の顔を見る。いつもに増して人を食ったような表情をしているが、特にふざけている様子はない。
「……古い因習、みたいな話か」
 胡乱気な直江の様子に、千秋は笑って見せた。
「はは。やっぱりそんな反応なわけね。つか、おまえんとこの実家は寺だろう。仏教だっていろいろその手の非科学的な話はあんだろうに」
「いや、まあ、あれはひとつの世界のとらえ方みたいなものだと思っているから、あれはあれで自分の中では完結しているんだが。とにかく、当主である私の巫子が、彼、高耶さんだってことか」
「ご名答。やつがおまえの代わりに厄災を引き受け、直江家を栄えさせる。あいつがいる限り、おまえいにいかなる危害も及ばない。病気や怪我もない」
「……ただの言い伝えだろう」
「俺もそう願ってるけどな」
「?」
 願っている、とはまた変な言い回しだ。それではまるで、この珍妙な言い伝えが本当のことのようではないか。
「高耶さんは、そのことは知っているのか」
「知ってる。信じているかどうかは知らないけどな。そういう話でここに連れて来たんだからな」
「彼はここで何をしている? 先日、道場に通っているとかなんとか言っていたが」
「道場では、巫子の力をコントロールできるようになるための訓練をしてる。専門の師匠がいるぜ。訓練っつーか修行はそれなりには苦しいはずだし、屋敷の外には出られないし、よく我慢してると思うぜ。俺だったら耐えられん」
「なんだと? 屋敷の外には出られないって、まるで彼を閉じ込めているみたいじゃないか」
 直江は唖然として、思わず口調が強くなった。
「そうだ。閉じ込めてるんだ。今のあいつは、外界には触れさせられない。おっと、怒るなよ。一応それだけの理由があるんだからな」
「一青年を閉じ込めておくのに、どんな大層な理由があるというんだ」
「まあ、焦るなって。教えてやるから。えっと、むかーしむかし。ある所にひとりの男がおりました」
「……その切り出しを信じていいんだろうな」
 直江がこれまでで一番胡散臭そうな顔を千秋に向ける。
「疑り深いな。信じろ。さて四百年前、『景虎』という名の巫子がいたんだそうだ。まあ、戦国時代ってとこだな。その巫子は始祖の再来と呼ばれるほど強力な力の持ち主だった。そして、その巫子が生前に言い残していたことがあった。四百年後、新たな『景虎』が現れる、ってな」
「それが高耶さんだって言いたいのか」
「そういうことになるな。そんだけ昔の話だ。一族の中じゃ半ばおとぎ話みたいに語り継がれてきていた。特にここ何代かの巫子に際立った能力者がいなくて、当主と巫子の関係は型髄化していたからな。誰もその話を百パーセントは信じちゃいなかった。そしたらその片鱗を持つものが現れてしまった。ただ、そいつはまだ力に目覚めていなくて、本当にそいつが『景虎』なのかはわからなかった。でも、もし本当に『景虎』だったら大変なことになる。巫子は当主とうまく結びつかなければ、力が暴走し、被害を出してしまうと言われている。だから慌ててそいつを囲い込んだ」
「くだらない非現実的な昔の風習に捕われて、一人の人間の大事な時期を台無しにするつもりなのか。そんな馬鹿な」
「俺もそう思ったさ。胡散臭いしな。でも、今はもしかしたら、と思ってる。俺は正直この家のこんてどうでもいい。俺の家が代々直江の家に世話になったからいるだけだ。だけど、あいつには興味がある」
 直江は納得しきれず、口を結んだままだ。
「来い。あいつのいる道場に連れてってやる。言葉で説明するより、目で見た方が早い。おまえがそれで納得するかどうかはわからないが、少なくとも俺が納得した理由はわかるはずだぜ」



 千秋の案内で、屋敷の北側にあるという道場に向かって歩いていく。石畳が敷き詰められ、道の両側に植えられた木々は鬱蒼としげり、まるで緑のトンネルのようだ。
 五分ほど歩くと、前方に木造平屋の建物が見える。近くまで行ってみると、屋敷と同様、過度な装飾はないものの、歴史のある建物のようで、手入れがよくされ、使われている木材も随分立派なもののようだ。
 正面の入口を入り、玄関のたたきの上に立つと、板張りでやや薄暗い道場内の奥の方に、高耶と、そしてもうひとり、壮年の男性が向かい合って坐しているのが見えた。
 二人の間には、緊迫した雰囲気が漂っており、それに影響されて直江もやや緊張を覚えた。
 ふと、壮年の男の方が顔をあげ、こちらに視線を送ってくる。それに呼応するかのように、高耶の方も緊張を解いてこちらを見やり、直江の姿を見つけると、立ち上がってこちらに駆けてきた。
「直江! どうしたんだ。来るって行ってなかったよな」
「ええ、あなたがここでどう過ごされているのか気になったものですから」
 高耶の肩越しに、男がこちらに歩んでくるのが見え、直江は軽く会釈した。
 彼が高耶の「師匠」なのだろう。
「急にお伺いし、お邪魔をしまして申し訳ありません」
「いやいや、そろそろ終わるところでしたから、問題ございません」
 直江の両親と同じくらいの歳だろうか。頭を剃り上げ、黒い着物を着ているのを見ると、僧侶、なのだろうか。
「立ったままお話するのも何ですから、どうぞお上がりくだされ。座布団も何もありませんが」
「それでは、失礼して」
 直江と千秋は靴を脱いで、道場に上がる。
 板張りの床がひやりと、足裏に染みる。
「お初にお目にかかる。直江のご当主殿。私は巫子殿の修行のお手伝いをしております、国領と申します」
 手をついて深々とお辞儀をされる。
「直江です。まだ先日より当主になったばかりで、右も左もわからぬ若輩者で、至らぬ点も多いかと存じますが、どうぞよろしくお願い致します」
 直江も丁寧に礼を返すと、国領は目尻のしわを深くして尋ねた。
「ここにお出でになられたということは、安田殿から、直江本家に関わるお話はいくらかお聞きになったと考えてようございますかな?」
「安田?」
 直江は首をかしげる。そのような名前の者がこの屋敷にいただろうか。そもそも話を聞いたのは千秋だったのだが、千秋を振り返ると、なぜか片手を挙げている。
「なんだ?」
「俺俺。俺が安田」
「はあ?」
 なんだそれは、と直江が眉をしかめると、国領が苦笑して解説をしてくれた。
「この家に昔から仕えているものには、二つの名前がございます。安田殿の場合、表向きの名前は千秋修平、お役目の際の名は、安田長秀、ということになります。他にも何人かそのようなものがおります。ご当主は皆様は代々、お勤めの方のお名前を呼ばれていたようですな」
「では、長秀、と呼んだ方がいいということですか?」
「特に決まりではございませんが、皆さまそのように呼ばれていたようです」
「はあ……」
 なんだかよくわからないが、さらに面倒なことになってきたような気がする。
 直江はやれやれとため息をついた。
「ところで、高耶さんはここで毎日、具体的に何をしているのですか?」
「ん? 目をつぶって頭の中でイメトレ?」
「……いや、おまえ、間違いじゃないけど、その説明、根本的なところ抜けてるから」
 千秋の突っ込みに、高耶はなんだよ、と不機嫌な顔になる。二人は歳が違いせいか、何か馬が合ったのかは不明だが、取りにお互い遠慮がない。
「まあまあ、せっかくですし、ご当主殿に修行の成果をお見せしてはどうじゃ」
 高耶はうーんとしばらく考えていたが、わかった、とばかり、やや崩し気味に座っていたところをきれいに座りなおし、手を腿の上に添え、背筋を正す。
 瞬間、この建物の中の空気が一瞬で張り詰めたものに変わり、肌がざわりと粟立った。
 国領がすっと立ち、すたすたと高耶から離れた位置まで歩いて行くと、どこから出したのか、白くて丸い平皿を手に取った。
「この皿を、そのままの状態で割ってみせい」
 直江は馬鹿な、と思った。高耶から皿までの距離は十メートル近くある。
 射撃や何か物を投げるかせずに、その皿を割ってみせろとは、超能力者であるまいに、そんなことはできるはずがない。
 高耶を見やると、すっと瞼を閉じ、ゆったり大きく呼吸をし始める。集中の度合いがどんどん深くなり、それに従って空気が緊迫していく。それがなぜわかるのか、直江自身にもわからなかったが、間違いなくそう感じた。
 次の瞬間、パリーン! という磁器が割れる音が響き渡った。
「な……っ!」
 と、直江と千秋は国領が手にしているはずの皿の方を向き、
「……あれ、割れていない?」
 二人は揃って目を見張った。確かに割れた音がしたと思ったのに、と首を傾げると、目を開けた高耶がまったく別の方向を向いて、
「あ」
 と短く声を漏らした。
 つられるようにそちらを向いて、直江と千秋はあんぐりと口を開けた。
「お、お、おまえー!」
 叫んだのは千秋だ。
「皿違いにもほどがあるだろ!」
 割れていたのは、確かに皿だったが、国領の持っていた方ではなく、道場に飾られていた飾り用の大皿だった。
 粉々に砕け、もとの姿の面影もない。
「おまえが割らなきゃいけないのは、国領のじーさんの皿、これは古伊万里のすっげー値段つくかつかないかの皿だぞ、バカたれ!」
「げ……マジで? どうしよう。ご、ごめん直江」
 高耶が心底申し訳なさそうなそうな顔で、直江に謝ってくる。
 直江は思わずふっと笑ってしまった。
「大丈夫ですよ。この屋敷の中で皿の一枚や二枚大したことないと思いますし」
「いや、大したことあるだろ、おまえ」
 千秋が突っ込むが、直江は意に介さない。
「そうか? 私はそんなに興味があるわけでもないし、形あるものはいつか壊れるというだろう。それより、重要な確認事項がある。いま、この皿が割れたのは、高耶さんの力だと、そういうことでいいんですか? 国領さん」
「そうじゃ。まだ、力の制御はできておらんから、今のようにヘマもするがの。間違いなく、こやつの力じゃ」
 高耶は高い皿を割ってしまったショックからか、顔色があまり良くない。
「高耶、今日の稽古はこれで仕舞いじゃ。あとは片づけておくから着替えてきなさい」
 高耶はうなずくと、道場の控室のようなところへむかっていった。
 彼の背中を見送りながら、直江は国領に問う。
「千秋……長秀から彼が四百年前に予言された伝説の巫子だという話を聞きました。予言は、当たっているのでしょうか」
「それはまだわかりません。しかし、仮に伝説の巫子でなかったとしても、それに次ぐ能力の持ち主であることは間違いない、とだけは申し上げておきましょうか」
「……」
 国領の言葉に、直江はなんと答えたらいいものかわからなかった。
 仰木高耶、という一見普通の青年が、巫子、しかも伝説の巫子であることがどういうことなの、自分にはよくわからないからだ。
 いずれにしても、自分にはまだ知らなくてはならないことが多くあるらしい。なかなか思うようには謎の霧は晴れてくれないようだと、直江はこっそりため息をついた。