Red Moon 序

 なぜだろう。

 あのとき、なぜそう思ったのかなど、説明はできない。
 ただ、彼が泣いているように見えたのだ。
 その身からは光がゆらりと立ち上り、元の姿形の輪郭も光に溶けてしまっていたというのに。
 また何かが崩れる音がし、そこかしこで人々の悲鳴があがる。視界を曇らせるほど立ち込める埃と、そこに混じる血の匂い。
 映画の一場面のように、今この状態が自分の中で、どこか現実味を帯びない。
 己にも身の危険が迫っていることはわかっていた。この場からできるだけ早く逃げなければならないことも。
 でも、それよりも今目の前にいる彼に手を差しのべたかった。
 なぜだろう。
 周りの誰もが恐れる人知を超えた存在だというのに。
 光がうねり、また、何かが破壊される。
 地鳴りのような咆哮が上がる。しかし、その咆哮が悲しみを訴えているように聞こえたのだ。
 光に向かって手を伸ばす。
 早く彼を抱きしめたい。
「怖くない。もう怖くないから」
 赤い血の滴るような目がこちらを向く。
 怒りの宿るその眼さえ、とても哀しく見えるのは自分の目の錯覚だろうか。
 自分が何をしているのかは、もうよくわかっていないのかもしれない。こんなことをして、死ぬかもしれないのに。
 でも、この腕に、彼を抱きしめたい。
「もう、傷つけなくていい。傷つかなくていい」



 だから、もう、泣かないで。