千秋修平、きょうの出来事。

朝、窓を打つ雨の音で目を覚ました。
降り方からみるに、今日一日止みそうにもない。
(せっかく今日は何にもねえのに雨か)
千秋は、ごろりと畳の上に寝そべった。
ここしばらく続いていた怨霊退治も、今日は特に急ぎの予定はない。結構楽しい暇つぶしになっている学校も、今日は日曜日で休みだ。
(こんなにのんびりしてんのも。結構ひさびさかもしんねぇな)
眼を閉じ、外の雨の音にしばし聞き入った。
と、その時。
ピンポーン
インターホンが鳴った。
(なんだぁ?)
せっかく人がのんびり過ごそうというときに、無粋な来客だ。気配から、それが誰かを察し、第一声で文句のひとつでも言ってやろうとドアを開けたところで、思わず動きを止めた。
そこにいたのは、頭の先から足元まで、見事なまでにずぶ濡れの高耶だった。
そして、自分から訪ねてきたというのに、これ以上ないくらい不機嫌そうな顔をして、千秋と目を合わせてこない。
「……えっと」
休みモードに入っていた脳と、目の前の憮然とした顔とで、しばらく次の言葉が出てくるのに時間がかかった。
「直江と何かあったのか?」
原因はそれくらいしかないだろう。
「……」
高耶はさらに、むっつりと黙りこくって何も言わない。
予想通りの反応だ。
バカ虎。
俺のささやかな休息の時間は去った。
千秋は軽く天を仰ぎたい気持ちになった。
ため息のひとつくらい許されるだろう。
「とにかく入れ」
千秋は、突っ立ったままの高耶にそう声を掛けて、部屋に招き入れた。


「こちとら、お前とやつとの間に何があったとか興味ないし。まして、どっちが悪かったとかなんて、もっとどうでもいい」
千秋は、棚のバスタオルを取り、それから部屋着にしている昨日洗濯したばかりのTシャツと短パンを取り出した。
「ただまあ、ずぶ濡れのやつにタオル貸してやったり、風呂に入ってこいって言う程度の甲斐性はあるつもりだ。ほれ」
と着替えとタオルを投げる。
それを、高耶は、
「ん」
と、短く返事して受け取り、そのまま何も言わず、ユニットのバスルームに入っていった。
やがて、シャワーの音が聞こえ始めた。千秋は冷蔵庫の中を覗いてみる。中に入っているのは、ビールの缶が一本と、醤油の小さなビンくらい。自炊はしないから、いつもこんなもんだ。
「何もねぇな。しゃーねぇ」
冷蔵庫のドアを閉めて、手近にあった部屋の鍵と財布を手に取り、そして、バスルームの高耶に向って、
「おーい。バカ虎。コンビニ行ってくっから、大人しくしとけよ」
「うーい」 
と、適当な返事が返ってくるのを聞いて、千秋はまだ止まない雨の中、傘をさしてコンビニに向った。


近所のコンビニで、適当な飲み物と丁度切らしていたタバコを買い込んだ。
雨脚は特には変わらない。店の入り口の傘立てから、自分のビニール傘を引き抜き、それをさそうとしたところで、ふと脇にあった緑色の物体が目に入った。
(電話、か……)
千秋は一瞬、逡巡する素振りを見せたあと、ポケットの財布からテレホンカードを抜き取り、電話の受話器を手に取った。
手帳などを見ずとも覚えている番号を、市外局番から押す。
「はい。光厳寺でございます」
三回ほどのコールで電話に出たのは、落ち着きのある声の年配の女性だ。
「千秋と申しますが、義明さん、いらっしゃいますか?」
そう言うと、
「ええ。ただいま呼んでまいりますね」
と、電話は保留になり、無機質な電子メロディーが流れ始めた。
もう何度か橘の家には電話しているので、相手の女性(たぶん、橘の母だろう)は、千秋を覚えてくれたようだ。声でなんとなくわかる。
それにしても、直江を「義明さん」と呼ぶのは、仕方ないことだが、どうにもこうにも、いつまでたってもむず痒い。
やがて、保留の音楽が止んで、相手が電話に出たのがわかった。
なのに、相手は何も言いださない。
「よお」
先手を打ってやる。
「……何の用だ」
第一声がそれだ。
ムカッ、とは千秋でなくてもするだろう。
これが晴家あたりなら、きーっ!と文句の二発や三発はくらわせるところだ。
「うちに大将来てんぜ」
この可愛げが皆無な(あっても、どうしようもないが)男に、少しぐらい動揺しろとばかりに、そう切り出した。
しかし、直江は何も言わない。
「……」
(こいつも、だんまりかよ。似た者主従が)
内心、毒つく。
しばし、相手が話すのを待っていた千秋だが、埒が明かないと悟って、早々に話を切り上げることにした。
「ま、いいけどな。今度飯おごれよ、旦那」
「……」
また無言。そのまま受話器を置いた。
ふうっ。
ピーッピーッと鳴り、電話機から吐き出されたテレホンカードを取って、財布にしまう。
シャツの胸ポケットに入っていたタバコを取り出して、火をつけた。ゆっくり吐き出した紫煙が上っていくのを、ぼんやり眺める。
高耶に言ったように、何があったかなんて具体的に知りたいわけではない。でも、ずっとこんな閉塞されたような状況を見ていると、なんだかじっとしていられなくて、こうして意味もなく電話なんかしてみたりする。
かといって、とことん付き合って、あの二人に分け入って、溜まりに溜まっているだろう膿を出してやろう、という気にはならない。
結局は、二人の問題なのだ。
きっぱりと割り切れないスタンスでいるのは、あの二人だけではないらしい。
「……しけってんな」
短くなったタバコを、灰皿に押し付けた。


千秋はアパートに帰った。傘のお陰で頭や肩は無事だが、足元やパンツの裾は、しっかり濡れてしまって気持ちが悪い。
「おーい。帰ったぜって、てめぇ!何してんだよ!」
ドアを開けて、最初に目に飛び込んできたのは、布団をめくったり、積み上げてある資料などをガサガサさせて、家探しをしている高耶の姿だった。
「なあ、千秋、どこにエロビあんだよ」
「はあ?」
「ベットの下もないしな……」
そう言って高耶は、今度は押入れに首を突っ込み始める。
その様子に、千秋は脱力とともに、なぜだか猛然とむかっ腹が立ってきた。
「この、てめぇっ!人が……っ」
千秋は高耶の首根っこをつかんで、押入れから、ずるっと引き出した。
「痛っ、なんだよ」
暴れる高耶を押さえつける。
「んっとに、人の好意を踏んで行ってくれるよな、バカ大将!」
「なに言ってんだか、わっかんねーよ!」
高耶もしっかり応戦し、取っ組み合いも本格化しようとした、そのとき……、
ピンポーン
千秋は、高耶の胸倉をつかんだまま、
「誰だ!」
と、叫ぶと、ガチャリとドアが開き、姿を現したのは、
「あ、高耶。やっぱりここにいた」
「ゆ、譲!?」
「な、成田っ!?」
千秋と高耶が、驚愕して突然の登場に二人とも組み合ったまま、固まってしまった。そんな二人に構わぬように、譲はすたすたと部屋に上がり込んできた。
「こんなところで何してんのさ、高耶」
そして、組み伏せられている高耶だけに声を掛ける。
(俺の存在、完全無視ですが。)
千秋、心の声。
「もう。昨日もまた学校休むしさ。テスト前だっていうのに」
「や、あ、あの……」
ぷんぷんと、お怒りモードの譲に、高耶もたじたじだ。
「ほら。勉強道具持ってきたからやるよ。とりあえず英語からね。その次は数学」
「ちょ、ちょっと、悪い。トイレ」
高耶は譲の攻撃から、何とか抜け出し、千秋に小声で、
「千秋、助けろ」
「いいじゃんか。教えてもらえば」
「良くねぇよ。譲、超スパルタなんだよ。オレが何であいつと同じ高校に入れたと思ってんだよ」
「そういやそうだな」
よくよく考えてみれば、医学部にストレートで合格間違いなしの譲と、中学まで不良で、おそらく学校にまともに行って勉強していたとは思えない高耶が、同じ高校に通っているというのは不思議だ。
「あのときのことは、思い出したくない……」
その口調からして、本当につらかった思い出のようだ。成田譲なら、さもありなん、と千秋は高耶が若干気の毒に思えてきた。
「高耶?何、遊んでるの?やるよ?」
にこり、と譲が微笑む。
(こ、怖!)
二人で竦み上がった。
すごすごと高耶は諦めて、譲が参考書を広げてスタンバイしているところへ戻っていく。
(何か変なことになっちまったな)
今日一日、のんびりごろ寝して過ごすつもりだったと思うのだが……、と千秋は今朝の自分を振り返る。
「千秋」
自分には関係ないとばかり思っていた千秋に、ふいにお声が掛かる。
「……は、はい」
「俺、紅茶ね」
「なんで俺が……」
「ん?何?」
その何気ない笑顔が怖いのは、一体なんなのか。
「いや、なんでもないです」
直江の野郎、今度会ったら三食飯を奢らせてやる!と、ここにはいない相手に八つ当たりするしかない千秋だった。



<初出>2006.8 コピー本発行(同タイトル)
<一部修正>2008.10